真に忌まわしき者
「最も忌まわしい存在とは何だろうか」
その問いに対して与えられる答えは回答者によって大きく異なる。
潔癖な人物であれば、姦淫や汚れこそが最も許されざる存在だと回答するであろうし、生真面目な農家であれば、丹精込めて育てた作物達を蹂躙する無慈悲な災害のことだと言うかもしれない。あるいは、机に齧り付く物書きならば思うようにアイデアを生み出せないスランプであると答えるだろう。
では何故、「最も忌まわしき存在」は人によってそれぞれ異なるのだろうか。
その答えは実に単純だ。
何故ならば、誰も「真に忌まわしき者」を知らずにいるからだ。彼らはそれを知らないがために、それぞれ違う答えを導き出すのだ。
しかし、私は彼らの無知を責めるつもりは無い。彼らがそれを知らぬのは至極当然のことであり、むしろそれを認識している私の方こそが異端なのだ。
「禁忌」とは、全ての者から必ず避けられる存在だ。ここで言う「避けられる」とは、見たり出会ったりという物理的な事象だけを指すのではなく、覚えたり知ったりという心理的な側面でも同様である。つまり「最も忌まわしい存在」は本来、誰も知らないはずの存在なのだ。
そう、知らない。知ってはいけない。
「それ」の名前を知ってはいけない。知れば禁忌はこの次元と結び付けられ、この世界へと染み出そうとするからだ。
「それ」の姿を見てはいけない。見れば「それ」の肉体は網膜を通して現世へと現れようとするからだ。
「それ」が何であるかを考えてはならない。考えれば禁忌が禁忌たる理由を知ることになるからだ。
故に、「最も忌まわしい存在」は誰にも知られるべきではない。語られず、視界に入らず、思考にも昇らず、ただ知らないままであるべきなのだ。
だから、私は死なねばならない。
今、この世界で「真に忌まわしき者」を知っているのは私ひとりだ。知ってしまった愚かな罪人は幸いにも私ひとりだけなのだ。
今ならまだ取り返しがつく。簡単なことだ、右手の内にある拳銃から弾丸を頭目掛けて吐き出させればいいのだ。
迷ってはならない、急ぐのだ。早く銃弾を────待て。
何かがおかしい。何かが狂っている。
空の色はあんなにも黒ずんでいただろうか?
雲の色はあんなにも毒々しかっただろうか?
鳥達の姿はあんなにも悍ましかっただろうか?
風の音は、街を行く人々の姿は、屋根の色は、木々の立ち姿は、ゴミを漁る野良犬の顔は、川に流れる水の色は、道端に停められた車は、直線状に伸びた道路は、窓の形は、そしてそれに写る私の顔は、こんなにも歪んでいただろうか?
ああ、そうか。
私はどうして目を逸らしていたのだろう。本当は初めから気が付いていたのに。
どうして「まだ間に合う」などと考えていたのだろう。
禁忌は知っただけで顕現する。
「最も忌まわしい存在」はあの瞬間から既に、この世界に産み落とされていたのだ。
最早遅い。すべては手遅れだ。
皆知ってしまう。誰もが気付いてしまう。
禁忌のヴェールが破られてしまう。
「真に忌まわしき者」は誰なのか。
「最も忌まわしい存在」とは何なのか。
今やすべての人間が口を揃えて言うだろう。
最も忌まわしい存在の名は────
その問いに対して与えられる答えは回答者によって大きく異なる。
潔癖な人物であれば、姦淫や汚れこそが最も許されざる存在だと回答するであろうし、生真面目な農家であれば、丹精込めて育てた作物達を蹂躙する無慈悲な災害のことだと言うかもしれない。あるいは、机に齧り付く物書きならば思うようにアイデアを生み出せないスランプであると答えるだろう。
では何故、「最も忌まわしき存在」は人によってそれぞれ異なるのだろうか。
その答えは実に単純だ。
何故ならば、誰も「真に忌まわしき者」を知らずにいるからだ。彼らはそれを知らないがために、それぞれ違う答えを導き出すのだ。
しかし、私は彼らの無知を責めるつもりは無い。彼らがそれを知らぬのは至極当然のことであり、むしろそれを認識している私の方こそが異端なのだ。
「禁忌」とは、全ての者から必ず避けられる存在だ。ここで言う「避けられる」とは、見たり出会ったりという物理的な事象だけを指すのではなく、覚えたり知ったりという心理的な側面でも同様である。つまり「最も忌まわしい存在」は本来、誰も知らないはずの存在なのだ。
そう、知らない。知ってはいけない。
「それ」の名前を知ってはいけない。知れば禁忌はこの次元と結び付けられ、この世界へと染み出そうとするからだ。
「それ」の姿を見てはいけない。見れば「それ」の肉体は網膜を通して現世へと現れようとするからだ。
「それ」が何であるかを考えてはならない。考えれば禁忌が禁忌たる理由を知ることになるからだ。
故に、「最も忌まわしい存在」は誰にも知られるべきではない。語られず、視界に入らず、思考にも昇らず、ただ知らないままであるべきなのだ。
だから、私は死なねばならない。
今、この世界で「真に忌まわしき者」を知っているのは私ひとりだ。知ってしまった愚かな罪人は幸いにも私ひとりだけなのだ。
今ならまだ取り返しがつく。簡単なことだ、右手の内にある拳銃から弾丸を頭目掛けて吐き出させればいいのだ。
迷ってはならない、急ぐのだ。早く銃弾を────待て。
何かがおかしい。何かが狂っている。
空の色はあんなにも黒ずんでいただろうか?
雲の色はあんなにも毒々しかっただろうか?
鳥達の姿はあんなにも悍ましかっただろうか?
風の音は、街を行く人々の姿は、屋根の色は、木々の立ち姿は、ゴミを漁る野良犬の顔は、川に流れる水の色は、道端に停められた車は、直線状に伸びた道路は、窓の形は、そしてそれに写る私の顔は、こんなにも歪んでいただろうか?
ああ、そうか。
私はどうして目を逸らしていたのだろう。本当は初めから気が付いていたのに。
どうして「まだ間に合う」などと考えていたのだろう。
禁忌は知っただけで顕現する。
「最も忌まわしい存在」はあの瞬間から既に、この世界に産み落とされていたのだ。
最早遅い。すべては手遅れだ。
皆知ってしまう。誰もが気付いてしまう。
禁忌のヴェールが破られてしまう。
「真に忌まわしき者」は誰なのか。
「最も忌まわしい存在」とは何なのか。
今やすべての人間が口を揃えて言うだろう。
最も忌まわしい存在の名は────
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